妊娠糖尿病の検査をする

出産するまでの辛い時間

妊娠後期に入った頃、ブドウ糖負荷試験を受けました。妊娠初期からつわりと頭痛に悩まされ、体重増加も全くなく、毎回の尿検査でも異常がでたことはありませんでした。なので、まさかその試験にひっかかるとは思いもよりませんでした。ブドウ糖負荷試験とは、朝食を抜いて朝一番に病院へ行き、甘い炭酸水を瓶1本の量を飲み干すのです。

その1時間後の血糖値の上がり方を調べるものです。私はその数値が高く、糖尿病を疑われました。糖尿病になると、胎児にも影響がでて肥大児になったり難産になったりすることが多いそうです。甘いものも食べていないし、吐き気がひどくて食べられないので、なんとか何か口にしようと豆腐や温野菜、果物を食べていました。

なので、なぜそのような数値がでてしまったのか不思議で仕方ありませんでした。そして、胎児にも影響がでると言われ、とても不安になりました。後日、同じ試験をもう一度受けました。前回は1時間後のみでしたが、そのときは1時間後・2時間後・3時間後まで調べてもらいました。結果、数値は範囲内を少しオーバーしていました。妊娠糖尿病と診断され、栄養指導を受けることになり、1日の摂取カロリーを決められました。

驚いたことに1日6食食べるように言われたのです。ただし、1日分の摂取カロリーを6回に分けて取る、ということです。これは、1度にたくさんのカロリーを摂取すると血糖値の上がり方が急になって良くないそうで、小分けして摂取するとその上がり方がなだらかになるからだそうです。それからは、カロリーを計算しての食事制限が始まりました。

朝食は6枚切りの食パンにバターかジャムをぬって食べ、その2時間後ぐらいに160キロカロリーを目安に、ヨーグルトやゼリー・ヤクルトを摂取しました。そして昼食と夕食は野菜と魚多めの食事です。昼食と夕食の間と、寝る前にも朝同様に160キロカロリーを目安に食べていました。その後、数値も安定して、無事出産をむかえることができました。

妊娠31週で激しい痛みにおそわれ、慌てて病院へ向かいましたが、痛みは増していくばかり。もうこれは便意ではない、ただごとじゃないと感じていました。まさかもう生まれてしまうのかと本当に不安でした。病院へ着く頃には、痛みがある間はもう動けないほどにまでなっていました。すぐに救急受付の部屋で診察をしてもらい、お腹の張りを先生が直接触って診察しました。

その後、車椅子に乗せられて、分娩室へ運ばれました。「張り止めの薬を点滴でいれます!これでおさまらなければ出産になるかもしれません。この週数ではここでは受け入れられないので、神戸の子ども病院まで運びます!」と言われたときは頭の中が真っ白になりました。

分娩室に看護師さんたちが慌ててやってきて、点滴をいれられお腹にモニターをつけられました。もうそのときには10分間隔が5分間隔にまでなっていたのです。モニターをみると、5分間隔で張りがきていることが確認できました。張りとは、陣痛のことで、子宮口が全開するとその張りのピークに合わせていきむんです。

ピーク時には山のような形を描いて、モニターにあらわれ、最後の陣痛時には紙からはみだしてしまうほど振り切れます。その時点では、振りきれるまではいってはいませんでしたが、大きな弧を描いていました。点滴をいれて30分がたち、諦めかけた頃、5分間隔が7分、8分、10分とあき、痛みもやわらいでいきました。主人も先生たちもほっと安堵のため息をつきました。

妊娠糖尿病のまま出産になっていれば、赤ちゃんはかなり小さく保育器に入ることになっていたに間違いありません。保育器にはいって、順調に育ってくれればいいですが、内蔵や肺がしっかり機能しないまま産まれてくると先天的異常を抱えることになる可能性もあります。私は、電話をかけることを躊躇したことをとても後悔しました。それと同時に涙がでるほど安心したことを覚えています。そしてそれから入院生活がはじまりました。

病院生活がはじまる

なんの準備も前触れもなく始まった妊娠糖尿病の入院生活。なんといっても一番困ったことは、長女のことでした。その頃はまだ3歳になる前で、保育園にも通っていませんでした。自宅で、いつも一緒に過ごし、昼間は近所の友達と家の前で遊んでいました。保育園の手続きもしていないし、義両親も社員でバリバリと働いていたので、預けることもできません。

入院先の病院から、直接保育園に電話をして、事情を説明し入れてもらえるように頼み込みました。本来ならば、市役所を通じて必要書類を揃えてからでないと入園はできないのですが、特別にいれてもらえることになりました。都会のような待機児童が多い保育園であれば絶対に不可能だったと思います。田舎ならではの融通の良さが幸いし、とても助かりました。都会の方は、こういった状況になったらどうしてるんだろうと思いました。

入院生活をおくりながら、考えるのは長女のことばかりでした。泣いてないだろうか、保育園は嫌がってないだろうか、義両親のお迎えは何時ぐらいなのだろうか、など心配事はつきませんでした。週末になると主人が長女を病院まで連れてきてくれ、1週間分の連絡帳を読んでいました。月曜日は必ず、「週末、お母さんに会えて嬉しかったようで、元気が充電されていました」というようなことが書いてあり、目頭が熱くなったことを覚えています。

私はそれだけを楽しみに、毎日ベッドの上で時間をつぶしていました。1日中点滴につながれたままで、入浴のときも点滴ははずせません。できるだけ動かずに過ごさなければならなかったため、2日に1回の入浴でした。移動も自分ではできないため、主人がきたときに車椅子に乗せてもらって病院内を散歩するぐらいでした。また、貧血もひどかったため、毎日大きな注射をされ、鉄剤をいれられていました。帰りたい帰りたいとばかり思っていました。動けない妊娠糖尿病の入院生活はとても辛かったです。